沖縄の着物 織物の種類には琉球文化の魅力がいっぱい!その特徴をご紹介

織り

沖縄にはたくさんの種類の織物があります。

琉球王朝の高度な文化と、
南国の気候や風土が作り上げた、
古くから伝わる伝統的な技法の織物は、
自然や素朴さを感じる趣のあるものばかりです。

沖縄のいろいろな織物の特徴をまとめました。

  

芭蕉布(ばしょうふ)

沖縄の伝統織物のひとつ芭蕉布は、
バナナと同種の植物である糸芭蕉の茎の繊維から取り出した糸を、
織りあげた古代布でもあります。

糸芭蕉の繊維は麻よりも張りがあり、
袖から身八つ口にかけて、風が吹き抜ける涼しさを味わえる着物です。

芭蕉布は着物のほかに帯も作られていますが、
着物と帯では、糸芭蕉の中でも使用する糸の種類が違います。

数多い沖縄の織物の中でも、もっとも古くからあり、
13世紀頃にはすでに織られていて、
17世紀になると、沖縄の人々の暮らしには欠かせない布になりました。

かつては屋敷内に芭蕉を植え、糸を績み、機を織る風景が、
沖縄のどこにでも見られたと言います。

現在も、織り手が自ら糸芭蕉を育て、
3年後に刈り取って糸にしています。

糸染めに用いるのは、
琉球藍とテーチ木(車輪梅)が中心です。

糸芭蕉の淡い茶色に、藍と茶褐色の2色で、
絣柄や縞、格子などを表します。

赤や黄色などの鮮やかな色のものは『煮綛(ニーガシー)芭蕉布』と呼ばれ、
その昔、首里を中心に織られていたものです。

戦後、壊滅的な状態だった芭蕉布を、
沖縄本島の大宜味村喜如嘉で、平良敏子氏が復興させ、
重要無形文化財保持者に認定されました。

琉球絣(りゅうきゅうかすり)

琉球絣は、沖縄で織られている絣柄の総称のほか、
本島の南風原で古くから織られている、
沖縄産の泥藍の糸で染めた木綿の絣織物を指します。

また『琉球紬』という呼び名もあり、
こちらはかつては久米島紬のことでしたが、
現在は南風原で作られている琉球紬や首里紬など、
沖縄県で産する紬織りの総称としても用います。

こうした沖縄の木綿や紬に織り出される琉球絣は、
日本の絣の原点と言われるほど古い歴史を持っています。

14世紀頃に中国や南方から伝えられて、
独自の発達を遂げました。

モチーフは、鳥・花・亀甲・碁盤の目など、
基本パターンは約60種類と言われます。

首里織(しゅりおり)

首里織は沖縄本島の首里織物の総称で、
首里紬や首里花織などがその代表です。

首里紬は手引きの紬糸を用い、
藍や福木、車輪梅などで染めて手織りされます。

首里花織は、花綜絖によって幾何文様を織り出しますが、
無地織が特徴です。

首里は琉球王朝の首都として栄えたところで、
日本をはじめ、中国や南方諸国などと交易をし、
さまざまな外国文化が入ってきました。

そのため、織りの技術も、紋織やもじり織(絽や紗)は中国から、
紬や木綿は日本から、絣や花織は南方からと、
多くの技術が取り入れられ、アレンジされて沖縄独自のものとなりました。

現在、首里織には、花織・ロートン織・花倉織・絣・ミンサーなどの、
数種類の技法があります。

花織(はなおり)

花織は、沖縄では『はなうい』と呼ばれる紋織物で、
地組織が浮くものと、浮き糸を加えるものがあり、
糸を浮かせて花柄や幾何文様を織り出します。

ロートン織

ロートン織は『道屯織』とも書きます。

中国から伝わったものとされ、裏表とも経糸の浮く織り方で、
どちらも使用できます。

花倉織(はなくらおり)

花倉織は、絽織と両面浮き花織を組み合わせた織り方で、
もじられた部分が透かしになります。

王府時代は、
王家専用の格のある夏の衣として用いられていました。

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読谷山花織(よみたんざんはなおり)

読谷山花織は、
沖縄本島を中心に織られる、花柄を織り出した紋織物のことで、
南方から伝わった技術を基礎にして、
沖縄本島中部の読谷山(読谷村)で織り始められました。

その後、琉球王朝の首都だった首里や与那国島、竹富島などに伝えられて、
各地で独自の花織が織られるようになっていきました。

読谷山花織は、首里花織と並ぶ代表的な花織のひとつです。

かつて、非常に手の込んだ贅沢な織物だったため、
王府御用達の織物に指定され、
花織を着用できるのは、王族と貴族だけでした。

ただし、読谷山花織は、
読谷の住民も着用を許されていたと言われます。

沖縄の染織は、第二次世界大戦によって、一時途絶えていましたが、
読谷で緯浮きの花織が復興されたのは、昭和30年代のことで、
『読谷山花織』の名前で広まりました。

糸を使って花模様を織り出し、絣柄を組み合わせます。

花織は、琉球王朝では紅型の次に位置し、
祝い着として用いられたので、
現代でも格のある着物に位置づけされています。

南風原花織(はえばるはなおり)

南風原花織は、
沖縄本島の南部にある南風原町で織られている花織のことで、
主に両面浮き花織の技法で作られています。

第二次世界大戦によって中断していた南風原花織は、
2001年より復元作業が始まりました。

1998年に、沖縄県の伝統的工芸品に認定されました。

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久米島紬(くめじまつむぎ)

久米島紬は、沖縄県の久米島で織られている紬のことです。

植物染料と泥染めによる味わい深い色と、
手織りによる素朴な風合いで、
日本の紬の最古の味を持っていると言われています。

15世紀に中国の明へ留学した堂之比屋(どうのひや)という人が、
養蚕の技術を学んで帰国し、
絹布を織り始めたのがその起源とされます。

江戸時代初期に、薩摩藩へ献上布となったころ、
『黄八丈』の泥染めの技法などを取り入れて、
現在の久米島紬が完成しました。

久米島紬の基本色は、黒褐色・赤茶・黄・鶯色・ねずみ色の五色で、
グール(菝葜[サルトリイバラ])、
テーチ木(車輪梅)、
ムムガー(楊梅[ヤマモモ])など、島の植物を使い、
黒褐色や鶯色は泥染めを併用して、
絣柄や縞柄に織りあげます。

また、織りあげた布を柔らかくするために、
砧打ち(きぬたうち)するのも久米島紬の特徴です。

糸括り(絣括り)から砧打ちまで、
ひとりの人が一反を仕上げることが多く、
織り手のぬくもりが感じられる紬です。

夏久米島(なつくめじま)

夏久米島は、細い糸で織った夏用の紬です。

軽くて透け感があり、肌に心地よい風合いですが、
年間の生産量は、極わずかです。

宮古上布(みやこじょうふ)

宮古上布は、沖縄の宮古島で織られている麻織物です。

新潟の越後上布と並び称される盛夏用の高級着尺で、
紺または白の細かな絣の着物です。

その布は、まるで蝉の羽のように薄いのですが、
耐久性に優れていて、さらりとした肌ざわりが特徴です。

宮古島は『上布の島』と言われるほど、ほぼ島全域で織られていますが、
中心となるのは平良市です。

宮古上布の歴史は古く、
今から400年ほど前に遡ります。

天正十一年(1583年)に、宮古の役人だった下地真栄の妻 稲石が、
綾錆布(縞の錆色の上布)を織り上げ、
琉球王に献上したことがきっかけとなり、
宮古上布の生産が始まりました。

その後、琉球が薩摩に統治されるようになると、
久米島紬や大島紬同様、薩摩藩への上納布となりました。

島で栽培されている苧麻(ちょま)の皮を剝ぎ、
指先で繊維を裂いて、一本の糸にする(苧績み)のは、
越後上布と同じです。

絣糸を作るのは、大島紬と同じように締機を使い、
琉球藍で繰り返し染め上げます。

細かい絣柄を手織りして、砧打ちを行い、
ようやく蝋を引いたような艶と張りのある宮古上布の完成です。

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八重山上布(やえやまじょうふ)

八重山上布は、
石垣島を中心とした八重山諸島で織られている麻織物です。

琉球絣を藍や茶や赤褐色で織り出した八重山上布は、
白地のほか、絣柄の赤縞上布と呼ばれるものもあります。

苧麻の手績み糸を緯糸に、ラミー糸を経糸に用い、
絣は手括りで、紅露(ヤマイモ科の植物の根茎・クール)や、
琉球藍で摺込み捺染します。

17世紀頃から始まった織物ですが、
第二次世界大戦で一時中断したものの復活し、
平成元年に伝統的工芸品に指定されました。

八重山交布(やえやまぐんぽう)

八重山交布は、八重山諸島で織られている織物で、
織や模様は八重山上布と同じようにしてつくられますが、
経糸に絹糸や木綿糸を使い、
緯糸に芭蕉または手績みした苧麻を使用しています。

ミンサー織

ミンサー織は、
沖縄の八重山諸島や沖縄本島の首里で生産されている木綿織物です。

沖縄本島で綿花栽培が始まったのは17世紀頃で、
薩摩から木綿を持ち帰って栽培したところ、
織物の原料として用いられるほど定着しました。

やがて、八重山諸島でも木綿が栽培され、
ミンサー織が始まったとされます。

細帯が織られるようになったのは、
アフガニスタン地方にある小さな絣帯が、
チベットや中国を経て沖縄に伝わったためと言われています。

現在は、細帯や半幅帯、八寸帯などが織られています。

織り方はどの地域もそれほど変わりがありませんが、
模様や糸染めには、その土地ならではの特徴があります。

竹富島は綾の中(アヤヌナカー)の経絣で、
五つ玉と四つ玉が一対の紺絣模様になっています。

小浜島はインド藍で染め、与那国島のミンサーには、
トゥイグワー(鳥)の模様が織り込まれています。

ミンサー帯は、五つの絣柄と四つの絣柄が特徴で、
これを交互に組み合わせて織られます。

これには、
『いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く』という意味が込められています。

与那国織(よなぐにおり)

与那国織は、与那国島で織られている織物の総称です。

与那国島は、石垣島から128キロも離れた日本最西端に位置し、
むしろ台湾に近い国境の島です。

沖縄の織物の状況を文字で印した最初の資料『李朝実録(1479年)』によると、
当時すでに与那国島では苧麻を作り、藍で染め、
筬(おさ)や杼(ひ)を使って織物を織っていた様子が記されています。

現在、与那国では苧麻や芭蕉はほとんど見られず、
主に使われているのは木綿や絹などです。

与那国織の代表は『与那国花織』で、
格子縞の中に小さな花模様を織り出したものです。

使われている花織の技法は、
表裏ともに模様が出る両面浮き花織と、
緯糸を浮かせて織る緯浮き花織です。

色は与那国島に自生する植物の染料で染め、
手織りされています。

このほか与那国織は、
格子柄の布地『ドゥタディ』、
細帯『カガンヌブー』
そして、島特有の手ぬぐい『シダディー』があります。

この手ぬぐいは、綿や麻地に植物染料で染めた色糸が織り込まれていて、
お祭りのときに着用されます。

ドゥタディ

かつて庶民の普段着だった『ドゥタディ』は、
白・黒・青の格子柄で、
麻糸や麻糸と綿糸の組み合わせなどで織られます。

現在は『ドゥタディ』を、筒袖の短い着物に仕立てて、
細帯『カガンヌブー』を締めて、お祭りなどに着ます。



あとがき

海外文化の影響を受けながら、
独自の技法を発達させてきた沖縄の織物は、
華やかさよりも、
素材も持つ暖かさを感じさせてくれるものが多いですね。