通過儀礼の中で、もっとも華やかな儀式は結婚式ですが、
和装の婚礼衣装にはどういった歴史があるのでしょうか、
和装婚の婚礼衣装の移り変わりは、
日本の結婚の形態の移り変わりでもあります。
日本の婚礼衣装の移り変わりや歴史について、
平安時代から追ってみたいと思います。
白無垢や色打ち掛けは、
いつから婚礼衣装として用いられるようになったのか、
また、
和装婚の婚礼衣装のトレンドとは何か、
和装婚の髪型についてもまとめました。
婚礼衣装 和装の歴史は?
平安時代は男女とも早婚で、婿入り婚でした。
公家たちの結婚式の形態は、
男の方が二夜通って深い契りを結び、
三日目を通ってきたら、
そこで初めて“三日夜餅の儀”と盃事をして、
正式に夫婦となったのです。
祝宴の間、花嫁の衣装は、晴れ装束ではなく、
小袿(こうちぎ)姿でした。
色は白とか黒とかの史実はなく、
濃紫の袴に白小袖、
白袿の上には二倍織物(ふたえおりもの)の濃蘇芳、葡萄(えび)、
松重などの白袿を着用しました。
鎌倉時代になると、男女とも衣服が簡略に、活動的になっていき、
女子の婚礼衣装も、濃紫の袴の上に白小袖、
その上から色物の袿や小袿を二~三領重ねたものと思われます。
室町時代から、
婚礼の形態は婿入り婚から嫁入り婚になりました。
室町時代になって、足利氏は礼儀を重んじ、
足利幕府により礼道教育が始まりました。
小笠原流、伊勢流などの礼道が確立して、
婚礼の法式などが生まれ、婚礼の儀式が複雑なものとなり、
婚礼の衣裳も整然としたものになっていきました。
嫁入りの風俗を描いたもので、
最も古いといわれる室町時代の“鼠草子絵巻”の、
鼠の嫁入り風景で、着ているものはみな白装束です。
白は無色で潔白を表すとともに、
神聖で清浄を表すものとして、吉凶いずれにも使われました。
白小袖を着て、白間着を着て白の細帯を締め、
緋の袴を着け、白打掛を着ました。
中流以下では小袖に帯を締めて礼装としていました。
平安時代から、婚礼の祝宴は三日三晩行われていましたが、
四日目からは色物の着物に取りかえる風習が起こり、
これが“お色直し”となりました。
戦国時代の百年間の衣服史はストップしていた時代ですから、
婚礼衣装も形式にとらわれず、できる範囲で行われていたようです。
桃山時代に入ると、
豊臣秀吉が京都の西陣をバックアップして、織物が盛んになり、
華麗な打掛がたくさんつくられました。
中国からの技術導入もあって、
刺繍や金銀糸の加工も目を見張るものがありました。
婚礼衣装はおおむね室町時代の風習を踏襲して、
小袖、間着、打ち掛けの白装束でした。
しかし、
一般には打ち掛けは着ずに、小袖に細帯姿でした。
江戸時代になると、宮中では、
“唐衣・裳姿(からぎぬ・もすがた)”の女房装束、
いま私たちが十二単(じゅうにひとえ)と呼んでいる晴れ装束が復活し、
両横に鬢を張る髪形の鬢出し(びんだし)おすべらかしができました。
宮中以外の江戸時代の花嫁は、
白装束の打ち掛け姿に被衣(かつぎ)をかぶりましたが、
江戸時代中期以後は、被衣が綿帽子に変わりました。
また、元禄のころは、
役者のはじめた揚帽子(あげぼうし)と言われる角かくしが、
一般の女子の間の花見や物見遊山に流行し、
やがて花嫁の被り物となっていきます。
桃山時代まで、結婚式の祝宴は三日間続き、
四日目にお色直しがありましたが、
江戸時代になると、
一日のうちに結婚式と披露宴を行うようになりました。
江戸時代末期には、
黒や赤などの打ち掛けも少しずつ見られるようになっていきました。
また、胸元に挟んでいた懐紙は、
七つ道具を入れる筥迫(はこせこ)にかわり、
花嫁の胸元には必ず飾られるようになりました。
明治時代になると、白装束に反発する気風が起こり、
黒、赤、白の三枚重ねの花嫁衣装が流行り出しました。
それも一般には、黒振り袖の裾模様に丸帯を結び、
頭は島田に結い上げ、角かくしをつけるようになりました。
黒地の裾模様の振袖には、縮緬や羽二重が多く使われ、
平安時代以降、織物であった衣裳も、
江戸末期からは、友禅や刺繍の柔らかい素材になりました。
婚礼衣装 和装婚で白無垢や色打ち掛けのトレンドは?
明治・大正の頃の花嫁衣装は、
黒縮緬紋付裾文様の振袖に白羽二重の下重ね、
ヘアスタイルは、
文金高島田に角かくという花嫁姿でした。
しかし、このような打掛の花嫁姿は、
裕福な家庭の子女にかぎられていました。
一般的な家庭では、昭和に入ると、
花嫁の衣装も簡素化され、黒留袖に洋髪という時代もあり、
普段着のままの結婚式も珍しくありませんでした。
第二次大戦が始まり、戦争が激しくなると、
新郎は国民服に戦闘帽、新婦は上っ張りにもんぺ姿で、
参列する人も防空頭巾携帯という、
粗末な衣服で挙式を行った時代もありました。
戦後の復興とともに、結婚式も時代が進むにつれて、
神前結婚式が主流となり、自宅結婚式は減少していきました。
結婚式の挙式を神社で行い、
祝宴を料理屋やホテル・専門式場などで行なうケースが増え、
洋式の宴会も徐々に増えだしました。
昭和三十年頃から打ち掛けが復活し、
白い掛下振り袖に白の掛下帯、白無垢の打ち掛けといった花嫁衣装のほかに、
赤や朱など色とりどりの花嫁衣装が増えていきました。
人気女優さんが着た花嫁衣装が、その年の結婚式で流行するなど、
メディアの影響も大きく左右され、
何度もお色直しをしたり、
洋装のドレスも加えて、お色直しが三回以上ということも、
珍しくはありませんでした。
多くの場合、結婚式の式服としての花嫁の衣装は、
白装束に白打掛の白無垢で、神前挙式を上げ、
披露宴などでは、打ち掛けを色物の織の打ち掛けで入場し、
次に、色振りぞでに色打ち掛け、
打ち掛けをとって振り袖姿を披露した後、
ドレスに替えるという、豪華な挙式・披露宴が流行しました。
さらには、芸能人の結婚式にあこがれて、
キリスト教式や人前結婚式が増えるなど、
結婚式のスタイルも多様になり、
花嫁衣裳も和装、洋装ともに華やかさを増しています。
しかし、そのような結婚式は大変お金がかかり、
その分の費用を、ハネムーンや新しい生活に使いたいという思いから、
結婚式や披露宴の費用を抑えようとする風潮も起こりました。
婚礼衣装 和装婚での髪型は?
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今しばらくお待ち下さいね。#成人式 #卒業袴 #和装婚 pic.twitter.com/yTgxJJxNns— FDS K Create (@k_kcreate) 2018年10月29日
それでもやはり日本女性は、和装婚へのあこがれは強く、
条件が許すのなら和装婚を希望する花嫁さんもたくさんおられます。
最近の和装婚で、以前の白無垢や打ち掛け姿の花嫁衣装と違う処は、
髪型がずいぶん変わったということです。
昔の花嫁さんは、『文金高島田』というカツラをつけ、
角かくしや綿帽子をかぶりましたが、
実際のところ、あの『文金高島田』は、
重くて痛くてかなりつらいのです。
ずいぶん改良され、軽くなったと思いますが、
かつらを付け慣れていない人にとって、
鏡の中の自分の顔に不自然さを感じるようです。
ですから、今の和装婚では、
ほとんどの場合、結い上げた洋髪が多くなっています。
花嫁衣装の方が豪華でボリューム感があるので、
バランス的に普段の髪型では釣り合いません。
美容室の方も、もりもりヘアに工夫されたり、
ヘアーピースなどを駆使して、
日本髪風に結い上げることもでき、自然な感じに仕上がるので、
花嫁さんご本人のイメージを崩すこともないのです。
あとがき
婚礼の衣装も婚礼の形も、
ずいぶん昔と変わってきました。
ハデ婚とかジミ婚もよく話題になります。
結婚式という人生の一大イベントは、
さらに変貌を遂げていくようです。