大島紬と村山大島紬とはどこが違うのか?
村山大島紬は大島紬じゃないの?
大島紬は軽くて着心地や裾さばきが良く、
『きものは大島紬が一番!』と、
着物愛好家の方にも、人気のある高級な着物の素材です。
では、村山大島紬と大島紬の特徴や歴史
製造工程の違いはどのように違うのでしょうか。
大島紬と村山大島紬の特徴や歴史の違い、
大島紬と村山大島紬の製造工程の違いについてまとめました。
村山大島紬と大島紬の違いと見分け方
村山大島紬と大島紬はまったく別もので、
村山大島紬は本場大島紬のイミテーションではありません。
村山大島は大島紬を参考にして創られたということは事実ですから、
村山大島が大島紬の模造品と思われるのかも知れません。
しかし、参考にして創るということと真似るということは、
少し意味が違うように思われます。
昔から日本語の『学ぶ』は『まねぶ』からきていて、
『まねる』という言葉には『習得する』という意味が含まれます。
先人の技術をまねることは学ぶことで、
粗悪な偽ブランド商品を製造することとは、
まったく違った意味のことばです。
例えば着物の素材で言うなら、
「秋田八丈」は「黄八丈」を手本とされ、
「米琉(米沢琉球)」は「琉球絣」を手本として創られています。
「加賀友禅」は「京友禅」の技術を取り入れたもので、
それぞれ基になるものの良さを『まねび』、
取り入れながら産地ならではの持味を出して創られています。
村山大島が大島紬の模造品のように思われていることは、
創意工夫を凝らして村山大島を創り出した先人にとっては、
とても悔しい思いがあったことと思います。
村山大島紬について
村山大島紬は東京都武蔵村山市で織られている紬で、
奄美大島や鹿児島県、宮崎県の本場大島紬とは、
別の工程で作られている着物の素材です。
村山大島紬は、その見た目の柄や色合いが『大島紬』と似ているため、
ひとくくりに『大島紬』とされることも多いのです。
しかし、村山大島紬は大島紬よりも安価な普及品として、
普段着用と位置づけられ、
高度経済成長期には、村山大島紬への需要は、
ウールの和服と並んで大きく拡大しました。
1967年に東京都無形文化財に指定され、
1975年には、経済産業大臣指定伝統的工芸品として、
東京都で唯一指定を受け、伝統技法が受け継がれています。
しかし、
韓国で生産された安価な類似品「韓国大島」が出回るようになると、
村山大島紬は普段着としての需要が後退し、
1980年代以降は、村山大島紬の生産は急速に縮小していきました。
普段着のきものの需要が著しく減った現代、
ウールや他の紬と同様に、普段きものを着ている人が少なくなり、
村山大島紬は呉服店の店頭から姿を消してしまいました。
大島紬について
奈良時代から手紡ぎ糸で褐色紬が織られていた大島紬は、
鹿児島県奄美大島が発祥地で、
久米島紬の流れを汲む、紬糸を使った織物という説が有力です。
大島紬は明治になってから盛んに織られるようになり、
大正には生糸を使うようになり、
今のような薄地の絹織物となったのです。
大島紬は生糸を用いることで、
軽くて丈夫な風合いが日本女性を魅了していきました。
1975年に「絹100%」「先染めした糸を手織りする」等の条件が定められ、
伝統的工芸品に指定されました。
昭和五十年頃は、今よりはまだきものの需要もあり、
普段着として着物を着る人も多かったのですが、
制作に手間暇のかかる大島紬は価格が高く、
庶民には高値の花の存在となっていきました。
村山大島紬と大島紬の特徴や歴史の違い
村山大島紬の特徴や歴史について
村山大島紬の“村山”は、は東京都武蔵村山市の村山のことで、
産地を示しています。
そして村山大島紬とありますが、
奄美大島や鹿児島・宮崎で織られている『本場大島紬』とは、
まったく別のものです。
製造法も『本場大島紬』とはまったく違い、
『村山大島』は、玉繭から紡いだ絹糸を板締染色し、
絣織によって文様を織り出す染色技法です。
奄美大島の特産品である大島紬は、
大正時代に生糸を用いるようになって普及が進みました。
『村山大島』は、
大正時代に『本場大島紬』に似ていることから、
“大島”の名が使われるようになり普及が進みました。
昭和三十年代から四十年代にかけて、
『村山大島』の全盛期でした。
村山大島紬は、模様のずれが生み出す素朴な風合いで、
正藍染と絹織物が結びついて発展したの民芸品です。
村山大島紬は、
綿織物で正藍染め(しょうあいぞめ)が特徴の「村山紺絣」と、
玉繭から作られる絹織物の「砂川太織」が結びついて発展したもので、
経緯絣(たてよこがすり)の絹織物で、
玉繭(たままゆ)から紡いだ手紡糸で作られます。
村山大島紬が織られる東京都武蔵村山市は、
狭山丘陵南麓に位置する地域で、
大陸からの帰化人により、
奈良時代から織物が作られていたと言われています。
1600年代後半の江戸時代元禄年間頃から、
縞模様の木綿織物が作られるようになり、
1800年代初頭の文化期には、
村山絣と呼ばれる絣模様の織物が作られるようになりました。
この村山絣は江戸時代に発展します。
明治時代になると、
砂川太織と呼ばれる玉繭を使った絹織物が作られるようになります。
1919年(大正8年)に織物の先進地であった群馬県伊勢崎から、
絣板を使った「板締染色」や経巻(たてまき)などの技術が導入され、
村山紺絣と砂川太織の技術をもとに、
村山大島紬が作られるようになりました。
村山大島紬は主に普段着として普及し、
高度経済成長期には大きな需要がありましたが、
その後、生産は縮小しました。
大島紬の特徴や歴史について
大島紬は、もともと奄美大島がおもな産地でしたが、
第二次大戦中に奄美大島から鹿児島に疎開した人たちによって、
今は鹿児島県や宮崎県都城などでも織られています。
昭和50年〜60年代頃に韓国産が出回りましたが、
近年は、鹿児島産が多いようです。
本場大島紬は“紬”とありますが、
紬糸ではなく、100%正絹の撚糸を用いて作られています。
本場大島紬は本絹糸だけを用いて織られているので、
薄くて軽く、独特の光沢があります。
ただし現在では、
ほとんど外国産の絹糸が使われているようです。
大島紬の起源は1800年以上前にさかのぼり、
日本でも最も長い歴史と伝統を持つ織物です。
奈良時代、遣唐使船の中継地となっていた奄美大島は、
東大寺の献物帳に、
「南島」から褐色の紬が献上されたことが記されています。
ですから奄美大島では、
奈良時代以前から絹布づくりと染色が行われていたと考えられます。
奄美大島での養蚕の歴史は古く、
1300年以上前から養蚕が行われ、
手つむぎ糸で紬が生産されていました。
奄美大島の染色方法は古代植物染色の技法で、
現在でもテーチ木と呼ばれる車輪梅(シャリンバイ・)や、
藍染として伝えられています。
本場奄美大島紬は、
タテヨコの細かい絣糸が模様をつくっています。
以前は絹糸を芭蕉の糸などで手括りして絣模様を作る、
現在の結城紬と同じ技法でしたが、
明治40年頃から、締めばたによる織締絣の方法を採用するようになり、
世界に類を見ない本場大島紬独特の、
精密な絣模様ができるようになりました。
また、結城紬と大島紬の技法では、製糸する時に使う糊が違います。
結城紬は米糊を使いますが、
大島紬には、海苔(ふのり)やイギスという海草が使われます。
本場大島紬は、世界一精巧な絣織物として、
ゴブラン織やペルシャ絨毯とならぶ世界三大織物の一つとされています。
本場大島紬の着物を着た時は、
シュシュッという衣擦れの音がして、裾さばきもよく、
軽くて暖かく、しわになりにくいため着くずれしにくいのです。
また、濡れても縮まないところや、
着用後の手入れが楽なことから、根強い人気を誇っています。
村山大島紬と大島紬の製造工程の違い
本場大島紬と村山大島紬は、どちらも縦横絣が特徴ですが、
基本的な違いは、手織り機と機械機の違いになります。
村山大島の製造工程について
村山大島紬の制作技法の特徴は、
絣板を用いた
「板締め染色(いたじめせんしょく)」の技法が取り入れられていることと、
精緻な経緯絣の模様です。
板締め染色とは、
図案をもとに溝を彫って作った絣板を使って糸を染める技法です。
絣板の間に糸を挟み、ボルトで締めてから染料を注ぐと、
溝を彫った部分に染料が入って染まり、
彫り残した山の部分は染まらないで残ります。
さらに色を重ねる場合は「すり込み捺染」で別色をすり込み、
染め上がった絣糸を図案通りに並べ直してから織っていきます。
こうして作られる村山大島紬は、
微妙なずれのある素朴な民芸調の絣模様と絹の光沢、
そして軽くて着心地の良い風合いが魅力です。
今日は早朝〜通院😱五十日で高速大渋滞😭通院後地元で銀行周り!横のPで自撮り(*´-`)
お初の大島紬さん♡NEW和草履♡お太鼓シートで潰しちゃった😭でも落ちてない〜🎶
華門織り出し本場村山大島紬→shineiさん
名古屋帯→戻橋キモノマルシェさん
帯揚げ&帯締め→母の
草履→ BARK OF K JAPANさん
↓続 pic.twitter.com/pLKLiFOpJ1— ゆうたぬジュリア (@tanukineko_5252) March 20, 2019
【村山大島紬の制作工程】
★絣板制作
村山大島紬では「板締染色」の技法が使われます。
染色に使う絣板は絣の柄ごとに必要で、
ひとつの柄に経緯合わせて150枚ほどの絣板を使い、
柄が大きくなると使用する枚数も多くなります。
板図案をもとにして絣板に溝を掘り、
この板を重ねて締めることで溝の部分に染料が入り糸が染まるしくみです。
絣板には、樹齢が70~100年以上の水目桜(みずめさくら)が使われます。
★精錬加工
生糸の光沢を出し手触りを良くするために、
糸を釜で煮ながらかき回して、
にかわ質などの不純物を除去します。
このあとよく洗ってから乾燥させます。
この作業により、なめらかで艶のある絹になります。
★地染め
ログウッドの芯材から作られるヘマチンなどの植物染料で、
地糸を染めていきます。
むらなく発色させ、色の深みを出すために長時間染料に浸し、
その後水洗いします。
★整経(せいけい)
布を織るのに必要な長さや本数になるよう、
経糸と緯糸をそろえます。
緯糸は柄の大きさによって必要な糸の長さが異なるため、
柄に応じて整え、絣糸を含んで4種類作ります。
種類により太さや撚りが異なります。
★板巻きと板積み
板締め染色の前工程で、経糸を絣板一枚一枚に巻き付け、
糸を巻き終わったら板の間に合い板をはさんで積んでいきます。
糸が重ならないように気をつけながら、
隙間なく一定の幅で巻き付けることで染め上がりが美しくなります。
緯糸は板と板の間に互い違いになるようにはさみ込むような形で、
平らに並べます。
この作業は布の出来上がりを左右する重要な工程です。
★板締め染色
経絣と緯絣を別々に積み重ねた絣板を、
10~15t/㎡の圧力でボルトを締めつけます。
これを「舟」と呼ばれる板締染色用の装置に横たえ、
染料が浸透しやすく染めむらを防ぐため、
ひしゃくで染料をまんべんなくかけて染めます。
板の締め方によっては、絣の大きさが変わってしまったり、
染まりすぎたりするため、熟練を要する難しい作業です。
★摺り込み捺染
「板締め染色」では一色しか染まらないため、
デザインによっては「摺り込み捺染」で別の色を重ねていきます。
まず、染め上がった絣糸を束の状態で長く延ばし、
部分ごとに分けて絣がくずれないようにところどころひもで縛ります。
次に、木綿糸を絡めた竹や木製のヘラに染料液を含ませ、
図案に合わせて糸束を2本のヘラの間に挟んで染料をすり込みます。
この後、蒸し箱で蒸して色を定着させます。
★機巻き
染め上がった絣糸の柄を組み立てます。
「拾い出し」や「頭づくり」「頭分け」「間ざき」などの工程を経て、
経糸は絣糸の柄を合わせながら、
地糸と一緒に1本ずつ筬(おさ)通しをして巻き上げます。
柄崩れを起こすのを防ぐため、
一本の糸もずれないように細心の注意が必要です。
横に並ぶ柄も正確に合わせます。
★製織
経絣糸に正確に緯絣糸を合わせて織ることで、
精緻な絣柄の村山大島紬が作られます。
熟練した技術者でも、
アンサンブル一本織り上がるのに1週間~10日ほどかかります。
最後に厳重に品質の検査を行って出来上がりです。
大島紬の製造工程について
本場大島紬
大島紬は糸自体に柄を付けるため、
絹糸を綿糸で仮織りをし、
それを染めたり加工をし、
解いてまた織るという手の込んだ織物です。
それぞれの工程で専門の職人が心を込め手作業をし、
次の職人に渡していくわけです。
ですから大島紬は一人では作れないのです。
【大島紬の製造工程】★図案作成・糸の準備
原図やイメージを元に方眼紙に柄の設計を行います。
昔は一点一点ペンで設計図を書いていましたが、
現在は大島紬の図案用のパソコンソフトを使って、
設計をするのが主流となっています。
この時点でどれだけの糸が必要か計算し、糸の用意をします。
★糸くり・整経
絹糸を小さな枠に巻き取ります。
設計図に合わせ、
タテ糸とヨコ糸を決められた長さと本数を整経していきます。
★のりはり
天気の良い日に整経したタテ糸とヨコ糸を、
別々にイギス(海藻糊)で固め、日光で十分に乾燥させます。
次の工程の締め機までにさらに乾燥させます。
★締め機(絣の模様を作る工程)
最後のはたおり機よりも一回り大きな機で、
図案に合わせながら木綿糸で絹糸を強く織り締めていきます。
★染色(テーチ木染め・泥染め)
タンニン成分の多いテーチ木(車輪梅)を、
大きな釜で24~30時間くらい煮た汁に絹糸を入れてもみこみ、
液を変えて何十回も繰り返し染めます。
乾燥の後、泥田で染めると、
テーチ木のタンニンと泥田の鉄分を化学反応をおこします。
さらにテーチ木染めと泥染めを繰り返し染めます。
★準備加工(すりこみ染色ばらさき)
一言で準備加工といっても様々な工程があり、
色を差したり綿糸をほどいたりして絣糸を作っていきます。
同時に無地の糸の準備も行っていきます。
目破り、すりこみ、ばらさき、あげわく、仕上げなどの工程があります。
★はたおり(はたおりかすり調整)
「高ばた」という手織り用のはたで織り、
7cmほど織ると、たて糸をゆるめ、1本1本丁寧に模様を合わせます。
織る柄や織手によりますが、
1反約12,5mを織るのに、約1月ほどかけて織りあげます。
★製品検査(検査)
本場大島紬共同組合で、幅や長さをはじめ、色ムラや絣の不揃いなど、
20項目にも及ぶ厳しい検査を受け、
合格をして証紙の地球印が貼られて初めて製品として認められます。
あとがき
大島に限らず、
日本の伝統工芸品は、その精緻な製造工程が特徴ですが、
この伝統的な技法を受け継ぐ後継者不足が問題視されています。
需要が少なくなると、生産量を控えることになり、
技術を継承することがむずかしくなります。
技術の継承をAIに頼るには、
採算が取れそうもないですね。
AIが織った大島紬は、
機械織りの大島紬ということになるのでしょうか。