江戸の友禅染 東京手描き友禅とは、どのような染めのことでしょうか。
東京手描き友禅は、江戸の町人文化を背景とした、
粋とモダンがコンセプトとされています。
江戸の友禅染 東京手描き友禅の歴史や染色方法、
そして江戸の友禅染 東京手描き友禅の特徴となる、
色と模様についてまとめました。
江戸の友禅染 東京手描き友禅の歴史
東京で染められる手描きの友禅染、江戸友禅は、
京友禅、加賀友禅と並んで、日本三大友禅と呼ばれました。
東京手描き友禅は、昭和五十五年に、
『東京手描き友禅』の名で、伝統的工芸品に指定されました。
加賀友禅は昭和五十年に、
京友禅は昭和五十一年に、伝統的工芸品に指定されましたが、
東京手描き友禅(江戸友禅)はそれより少し遅れて指定されたのです。
何故東京手描き友禅が、加賀友禅や京友禅に比べて、
伝統的工芸品に指定されるのが遅れたかと言うと、
関東大震災や東京大空襲などで、
江戸友禅の史料が失われてしまっていたことが原因です。
しかし戦後は、東京の地場産業として、
目覚ましい発展を遂げて行きました。
日本の文化の中心が、上方から江戸に移ったのは、
十九世紀のことです。
文化・文政時代に、大名家の参勤交代制度に伴って、
大名のお抱えだった染め師が江戸に移り住むようになり、
江戸に京友禅の技法が伝わったからだといわれています。
江戸の友禅職人は、友禅染に必要な水を求めて、
隅田川や神田川の付近に多く住んでいたそうです。
また一説では、
京友禅が始まって間もなく、
すでに十七世紀に、五代将軍綱吉の母、桂昌院が、
京都から友禅職人を呼び寄せて『柳営染め』という、
大奥御用の模様染めが出来たとも伝えられています。
江戸の友禅染 東京手描き友禅の染色方法
元禄時代に宮崎友禅斎(1684-1688)が考案したといわれている友禅染は、
下絵の模様の線上に糸目糊を置いた後、
模様全体に色を挿し、
その上に伏せ糊を置いて地色を染め、
蒸して染料を定着させてから糊を落とすという、
多色の模様を美しく染め分けるための染色方法です。
東京手描き友禅の染の工程は、分業制の京友禅とは違って、
一人の友禅師(模様師)が、構図から下絵、糸目糊置きや色挿しを行い、
伏せ糊と蒸し、水洗だけは専門の業者に依頼します。
友禅染の東西の個性の違いは、
色彩や模様の違いに見られます。
東京手描き友禅(江戸友禅)は、色柄ともにあっさりが身上で、
江戸では藍と白のさっぱりとした色遣いが好まれました。
ことに、糊伏せした白場(染まっていない白い部分)を、
そのまま模様の一部に活かす『糊の白上がり』の技法は、
今も東京手描き友禅の特徴とされています。
江戸の友禅染 東京手描き友禅の色と模様
江戸の友禅染に用いる赤い色も、
洗い朱(あらいしゅ)やさび朱などの渋い赤を好む傾向があります。
伝統的な模様には、磯の松や網干、千鳥や葦など、
かつての江戸湾(東京湾)の風景が多く描かれています。
模様は細やかでやや小さめ、粋とモダンがコンセプトです。
これらは、
大奥の御女中が好んだ、武家好みの御殿模様が庶民に行き渡ったもので、
江戸解き(えどどき)模様と呼ばれました。
華やかな公家文化を母体とする京友禅の、
御所解き模様とは対照的なものです。
東京手描き友禅(江戸友禅)は、模様付けもあっさりが身上です。
東京手描き友禅の特徴は、江戸の街の町人文化を背景とした、
渋く落ち着いた色合いの中にも、
都会的センスの洒落感が漂う作風が特徴とされています。
最近では留袖全体が華やかになったため、
東京手描き友禅の留袖も、裾全体に模様が染められていますが、
かつての江戸風の留袖は江戸褄と呼ばれ、
衽と前身頃の低い位置に模様があるだけで、
後ろ身頃には模様がありませんでした。
東京手描き友禅は、華やかさを抑えて、
単彩のなかにも秘められた美しさと溢れる気品は、
江戸の粋を現代に伝えています。
あとがき
日本の三大友禅と言われる、
加賀友禅・京友禅・江戸友禅は、
それぞれ独特の持ち味があります。
色や柄行の特徴は、
着る人の好みや
着るときのシチュエーションによって選ばれ、
その時の装いを演出してくれます。