着物離れの原因と着物を着なくなった理由は?流行の原点と若い人の捉え方

着物への思い

あなたにとって着物とは、いったい何でしょうか?

着物は日本の民族衣装あると同時に、
日本人にとって、百年前までは生活着のすべてでした。

今、街で着物姿の人に出会ったなら、
あなたは何を思うでしょうか?

少しでも着物に関心のある人なら、
『どこへ行くのだろう…』『何をしている人だろう…』
なんとなく気になってしまいませんか?

着物が単なる衣服なら、
それほどまでに人の心を惹きつけるわけがありません。

着物という衣服を通して、
また、着物の持つ不思議な魔力でもって、
“ニンゲン”に興味を持ってしまいます。

  

着物離れの原因と着物を着なくなった理由は?

社会の形態が変わり、日本女性の行動範囲も広がっていく中で、
機能性や軽快感、装飾性に加え、
西洋志向(西洋かぶれ)をカッコいいと思う風潮がそうさせたのでしょうか?

日本に洋服という文化が入ってきた当時、
日本女性の体型に、洋服という西洋の衣服の形は、
とてもよく似合うとは言い難いものでした。

生活様式や食生活の欧米化による栄養状態の向上、
そして、今まで封じ込められていた日本女性の自意識の目覚めなど、
多くの要素が伴い、
西洋人の体型により近くなってきたおかげで、
国内のファッション業界も繁盛してきたのでしょう。

どのような体型が良いか悪いかは別として、
日本女性が洋服に慣れていったことは事実です。

そのため、普段の生活から着物はどんどん姿を消し、
冠婚葬祭や通過儀礼のときと、
一部の愛好家のみにその存在をゆだねてきました。

和装業界は、日本人の着物離れを食い止め、
着物人口の普及を願って、
日本各地に着付け教室を広めていきました。

以前、もうお亡くなりになりましたが、
日本のラジオ番組パーソナリティだった永六輔さんが、
あるラジオ番組で、
『電車がどの駅に止まっても、着付け教室と英会話教室の看板が見える』
といわれていたのを思い出しましたが、
これも一時的なブームだったのでしょうか?

着付け教室では、一人で着物が着られなかった人でも、
ちゃんと着られるようになり、
私もその一人ですが、
いつも素敵なお着物をお召しになっている講師の先生に憧れたものでした。

ただ、着付け教室では、
『こうしなければいけない!こうでなければいけない!』
そういわれることが、ズシズシと重く感じたことも事実でした。

着物に対するこだわりというのは、
自分自身の個性を表現するときにこそこだわればいいと、
私は思います。

洋服を着るとき、ブラウスやスカート、ジャケットにスカーフやベルトを、
どのように組み合わせるかを考えるように、
着物も、自分なりの感性でコーディネートすればいいと思うのです。

とにかく、人の着方や楽しみ方にとらわれず、
自分なりの着物の身に付け方を工夫したいものです。

仕来りや常識についても、
冠婚葬祭などの儀式的な席において、
相手方や周りの方々に、嫌な思いをさせないようにという気遣いだけは、
洋装であっても和装であっても、マナーとして必要なことだと思います。

着物離れの原因と流行の原点

渡来文化の洋服が、普段着となった今、
日本女性も素敵に洋服を着こなしています。

しかし、どこか心の奥底にある、日本人特有の美意識を表現するには、
何かが足りないように思えるのです。

あらゆるものが満ち足りた時代に、
何か忘れ物をしてきたような感覚があり、
いま私たちは、その何かを模索しているのです。

高級フランス料理も食べてみたいけど、
民芸調の和食の店がなぜか落ち着いたり、
ヨーロピアン調の外観をしたマンションや、郊外のしゃれた一戸建てにも、
ひと部屋は畳の部屋が欲しと思ってしまうのです。

日本各地の名湯や秘湯を紹介するテレビ番組が、
高視聴率を獲得したりすることからも、
私たち日本人としての、心の帰巣本能を感じます。

現在の流行という形は、
ほとんどが自然に発生しているものではありません。

ファッション業界の各ブランドがこぞって、
『どんなものを流行らせようか』と企画を立て、
その企画に沿った商品を作り、
大々的な宣伝販売をするために多量に出回り、
流行の商品となるのです。

また、その年の『流行色』も、『インターカラー』といって、
流行色協会が二年も前に決めて、ファッション業界に発表し、
流行色として新作の商品に用いられるのです。

すべては仕組まれたものなのです。

もちろん流行というものの本来の形は、
自然に時間をかけて広がるものだと思います。

何か一つの新しいことを始めようとする者に対して、
人はそれを好奇の目で覗き込みます。

今から約四百年前、
出雲の国の阿国という女性が京の都にやって来て、
念仏踊りを披露しました。

世相を風刺したその踊りは“ややこ踊り”と呼ばれ、
人々は初めは『なんじゃこりゃ?』と見物していましたが、
楽しそうなその様子に、
いつの間にか一緒になって踊り興じたそうです。

その踊りが、
変わっている~傾いている~傾(か)ぶいている~かぶく…歌舞伎踊り…
と呼ばれるようになっていったそうです。

一人の人が変わったことをする…みんなが変だと思う(好奇の目・興味を持つ)
…誰かがひとりまねをする(傾ぶく)…なかなか『いいじゃん!』と、
次第に数人がまねをする…流行(ニューモード)の発生です。

変だという人が少なくなり、みんながまねをする大ブレイク(大流行)、
そして、誰も変だとは思わなくなる(定番)となります。

いま、古典芸能と呼ばれている、能・狂言・日本舞踊・落語・歌舞伎なども、
出来た当時は新作とか創作、はやりものといわれていたのでしょう。

もしかして、
ベートーヴェンやモーツァルトが作曲したクラシックも、
作られた当初はニューミュージックだったのかもしれません。

着物に対する若い人の捉え方と着物離れの払拭

ここにきて、和のテイストとしての着物が見直されようとしています。

一昔前ならギャルと呼ばれた女性たちが、
夏になると浴衣を楽しむ姿を見かけるようになりました。

若い人たちにとって、
和装だから、洋装だからという区切り(境い目)は無く、
自分らしさを表現する手段の一つとして、
浴衣を自由に着こなしています。

また、京都をはじめ、観光地などでは、
旅行で訪れた地で、浴衣や着物をレンタルして、
観光を楽しむ人が増えてきました。

やはり、神社仏閣や名所旧跡を巡るときに、
きものを装うことで、より一層、雰囲気を味わうことができるのでしょう。

固定観念や先入観があり、人目を気にする大人たちの間でも、
そういった兆しが見えてきています。

このように、着物に向けられた小さな火種を絶やさないように、
着物の良さや楽しさを、次の形へとステップアップするように繋げるのが、
和装業界の今後の課題となりそうです。

そうすることで、日本人の着物離れという、
着物にとっての暗黒の時代が払拭できるのではないかと思います。

癒しという要素を持った『キモノ』というアイテムを、
自分のものにすることで、生活にうるおいを持たせたいですね。

キモノを毎日の生活に取り入れるも良し、
日常のオンとオフの切り替えに使うも良し、

着物というファッションが、
普段の生活を、
人生の時間を、数倍も輝くものにしてくれるでしょう。

あとがき

着物は着るのも難しいし、
着たら着たで動き辛く、行動的になれません。

お手入れも複雑で、何より高すぎる。

着物離れになる原因はたくさんありますが、
美に対して女性は貪欲で、
自分を美しく見せるためなら、努力は惜しみません。

自由に感性を表現できるアイテムとして、
気軽に着物を楽しみたいのに・・・・

めんどくさいルールや仕来りをうるさく言うのは、
もう、やめませんか!