着物の柄 文様とは模様のことですが、
家紋や地紋も文様表現のひとつです。
きものや帯に、色糸で織り出されたり、
色彩で描かれたりする文様は、数え切れないほどの種類があります。
それらは卓越したデザイン性を持っていて、
日本人の感性の素晴らしさそのものです。
古くから伝わる伝統的な文様の数々をご紹介します。
着物の柄 文様の種類
着物の模様 文様の種類には、
生活しているすぐそばにあるものを表現していることがたくさんあります。
菊を見れば菊の姿を衣服の文様に取り入れ、
蝶を見れば蝶の姿を、
雲を見れば雲を、扇を見れば扇を、というように、
身の回りの植物や動物、自然や器物・道具など、
すべてのものが文様化されていると言っても過言ではありません。
これらを総称して具象文様というのですが、
このほかに、
直線や曲線の組み合わせによってできる抽象的な幾何文様や、
幾何連続文様・様式文様・割付文様などがあります。
幾何連続文様とは、
七宝、市松、麻の葉、青海波など、
幾何学的な柄が、連続して繰り返される模様のことです。
様式文様とは
形や様子を模様にしたもので、
同じものの間に共通の、一定の形式ややり方がある模様のことです。
割付模様(わりつけもんよう)とは、
ひとつの文様を規則正しく繰り返して配置した文様の構成法のことで、
縦や横に割る事の出来る模様です。
きものを選んだり、
きものと帯をコーディネートする際に、知っておきたいのが、
それぞれの文様の時代背景です。
格の高い文様が、
礼装や準礼装にふさわしいことは言うまでもないことですが、
着る人を優美に見せたり、洒脱に見せたりする着物は、
その文様が持つイメージによるところが大きいのです。
たとえば、
奈良時代の正倉院文様や平安時代の有職文様は、
皇族や貴族の文様でしたから格が高いものでした。
名物裂文様は、茶人に愛されたことから、
その文様は現代もお茶席にふさわしい装いとして用いられています。
歌舞伎役者が好んだ文様は、街着や浴衣などに写され、
カジュアルな装いに親しまれています。
着物の文様 和柄の持つ意味と願い
着物の文様 吉祥文様
古来、
人は幸せであってほしいという願いを、
きものや帯の文様に託してきました。
それが吉祥文様です。
“吉祥”とは『よい前兆』という意味で、
そのルーツは中国ですが、
平安時代にはすでに日本独自の吉祥文様も見られ、
江戸期に著しく発展していきました。
きものの伝統文様は、
何らかの意味で吉祥の気配を秘めていると言えます。
鶴亀・桃・菊・熨斗・兎などの文様は、長寿を意味し、
葡萄・石榴・瓜・唐子文様は子孫繁栄を意味しています。
桐・麻・竹の文様は、成長を祈願し、
七宝・宝船・扇の文様は、栄達を意味します。
琵琶・藤・鯉・鶏などの文様は、昇進を表し、
鴛鴦・相生の松・貝は、夫婦円満を、
雪輪や雀は、豊作を意味し、
六瓢や薬玉は、健康を願う心を表しています。
兎は、月で不老長寿の仙薬を作っているという説から、
雪輪は、雪の多い年は豊作と言われていることから、
六瓢は、無病(むびょう)に通じることから、
それぞれ吉祥の意味を持つとされています。
慶事用のきものと吉祥文様
吉祥文様が用いられるのは、
慶事用のきものや帯だけとは限りませんが、
慶事の礼装や準礼装には、
良いことがいつまでも続きますようにという願いを込めて、
いくつかの吉祥文様を組み合わせて身につけ、
祝いの気持ちを表します。
着物の文様 伝統文様の歴史と時代背景に見る由来
正倉院文様
正倉院が建造されたのは奈良時代で、
奈良の大仏様(東大寺盧舎那仏像)の大仏開眼の頃で、
正倉院は、もと東大寺に付属していた大蔵(朝廷の倉庫)でした。
★正倉院裂(しょうそういんぎれ)
正倉院の宝物は聖武天皇ゆかりの品々で、
仏具・武器武具・文書・文房具・楽器・調度品・服飾品・食器など多種多様です。
なかでも染織品は十数万点に達すると言われ、
これらを総称して『正倉院裂』と呼ばれています。
正倉院文様とは、狭義には正倉院裂の文様を指しますが、
正倉院宝物の楽器などを写した文様も正倉院文様と呼ぶことがあります。
★異国的な雰囲気を持つ正倉院文様
シルクロードの終着点と言われる正倉院ですが、
その宝物は国際色豊かで、
中国(隋・唐)や西域(ペルシャ)からの舶来品も多く見られます。
また、百済からの渡来人によって製作されていた、宮廷用の染織品も、
舶来品の影響を強く受け、
平安時代の和風文様に比べて、異国的な雰囲気が特徴です。
代表的な文様は、唐花文・葡萄唐草文・狩猟文・獅噛文・双龍文、
宝相華文・連珠円文・樹下鳥獣文・蜀江文・花鳥文などで、
錦、綾、羅(薄物)、綺(紐組)、綴などに織り出されています。
★礼装の文様にふさわしい風格を持つ正倉院文様
華やかで異国的な正倉院文様は、
宮廷で使われた品々の文様なので品格があり、
現代は主に礼装用の帯の文様として用いられ、
独特の風格で愛され続けています。
有職文様
本来、有職は有識と書かれ『額式豊かなという意味でしたが、
平安時代を過ぎると、公家の規範という意味を持つようになり、
文様には『有職』という文字が当てられるようになりました。
そして近世になると、公家が調度品や装束に用いた文様を、
有職文様と呼ぶようになりました。
有職故実によって、官位を持つ公家たちの装束は、
位階により定められた文様がありました。
たとえば、黄丹御袍(おうにのごほう)は皇太子が公式の場で着用する装束で、
文様は鴛鴦(えんおう)の丸です。
宮中の女官である典侍(ないしのすけ)の唐衣(正装の際に上に着る装束)は、
亀甲に向い蝶丸といった具合でした。
★有職文様の特徴
公家の装束は女房装束(十二単)に見られるような襲ね着形式でした。
文様よりも色襲ねを重視した装いで、
絵模様は、襲ねの下に隠れてしまうことから、
整然と繰り返される織りの文様が発達しました。
したがって、丸、菱、亀甲、立涌などの、
幾何学文様や、幾何連続文様を特徴とし、
花、蝶、雲、波など、優美な形を持つ題材を、
丸や菱形に組み合わせたものが多く見られます。
★有職文様は礼装の帯やきものに
平安時代の公家装束の有職文様は、
一部を除きほとんどが単色の織り文様でしたが、
現代では、礼装用の袋帯に色糸で織り出したり、
礼装用のきものに華やかな色彩で描いたり、
花嫁衣裳の白無垢や準礼装用の色無地の地紋として用いられています。
名物裂文様(めいぶつぎれもんよう)
広く人に知られたものを名物と呼びますが、
茶道の世界では、千利休をはじめ、
著名な茶人が名品と認めた茶道具を名物と呼び、
茶入れや袱紗などに用いられた裂(きれ)を名物裂と言います。
★名物裂のなりたち
茶の湯の名品を名物として集大成したのが、
江戸時代の大名茶人 松平不昧公です。
利休以前に足利義政らが収集したものを『大名物』
利休の選んだ品を『名物』
小堀遠州が選んだ品を『中興名物』とし、
松平不昧公が『名物並』を加えました。
★名物裂の織りと文様
名物裂のほとんどが、宋、元、明の時代の中国からの舶来品で、
なかでも16世紀頃までの名物裂は『古渡り』と呼んで珍重されています。
また、名物裂の地は緞子、金襴、間道(かんとう)などですが、
書道の真行草にちなんで格付けされています。
緞子や金襴の文様では、
笹蔓緞子や荒磯緞子、
そして、高台寺金襴をはじめとする唐草文様が有名です。
間道は、絹を中心とする縞の織物で、
縞の文様によって、吉野間道、青木間道、日野間道などがあります。
また、正倉院の宝物にもある蜀江錦(しょっこうにしき)や、
有栖川錦の名物裂もあります。
これらの名物裂文様は、総じて奈良・平安の文様より小さく、
渋い品格を持ちます。
★名物裂文様と帯
名物裂の来歴から、茶人好みの織り帯として愛好され、
とくに色無地や江戸小紋によく調和します。
歌舞伎文様
歌舞伎役者の名前を洒落や語呂合わせで考案された文様や、
歌舞伎衣裳に使われて、江戸庶民の間で流行した文様は、
歌舞伎文様と総称されます。
この文様の特徴は、縞と格子が非常に多いことです。
江戸文化の担い手であった人気役者たちに好まれた幾何文様は、
有職文様や間道などの幾何文様とは雰囲気を全く異にし、
洒脱さが身上です。
中村芝翫の芝翫縞、坂東三津五郎の三津五郎格子、
尾上菊五郎の斧琴菊(よきこときく)などは、
役者の名前や屋号からの考案で、
半四郎鹿の子や市松文様は、歌舞伎衣裳として使われた文様で、
今でも浴衣や手ぬぐい、小紋や帯の柄に良く用いられます。
具象文様(ぐしょうもんよう)
具象文様は、江戸時代以前も織りや絞りの文様で表現されていましたが、
江戸時代初期に友禅染の華やかな色彩で文様が描かれるようになって、
いっそうバリエーションが豊富になりました。
植物をかたどった文様が圧倒的に多く、
ほかに、動物、自然、器物文様があり、
同じ対象を文様にしても表現方法はいろいろです。
たとえば、
菊の花なら、乱菊、むじな菊、万寿菊、菊尽くし、
菊水、菊青海波、菊立涌、菊の丸、菊菱などがあります。
また、自然の情緒を大切にした先人は、
流水に紅葉、楓に鹿、月に兎、波に千鳥など、
自然と動植物を組み合わせたりして季節感を表現しました。
あとがき
きものの文様に籠められた思いや、
そのデザイン性はスゴイですね。
着物や帯に用いられている、
和柄と言われる文様の種類の多さに驚きます。
また、文様のひとつひとつにある意味や願いを知ることで、
文様に対する思い入れもさらに深まります。