浴衣というのは、和服の種類のひとつで、
その形は、一般的な単衣仕立ての着物と同じものです。
普通の着物と違うところは、
着るときに、長襦袢を着ないで素肌に着るというところです。
ではなぜ、着物という和服の中に、浴衣というジャンルが出来たのかは、
浴衣の歴史を知ることで理解できます。
ここでは、浴衣と着物の大きな違いや、
本来の浴衣と現代の浴衣の違いについて、
私的な意見も交えてまとめてみました。
浴衣と着物の大きな違いとは何か
浴衣も着物も、販売されているときの形が反物の場合、
仕立てあがるときに必要な用尺はおなじですから、
反物の長さは一緒です。
最近は体格のいい方も多く、日本人の平均身長も高くなったので、
反物も今までより幅の広い物や長さの長い物が、
多く出回っていて、これは浴衣だけでなく着物にも同じことが言えます。
しかし、浴衣も着物も、
仕立てあがったときの形に違いはないので、
本衿とかけ衿、両袖、両見頃、両衽の、
8つのパーツに裁断されて仕立てられます。
10月から5月ごろまでの寒い季節に着る着物の場合、
袷せ仕立てという仕立て方をします。
袷せ仕立ては、
胴裏と八掛という裏地を付けて仕立てます。
浴衣は、夏に着るものですから、
当然、単衣に仕立てます。
浴衣や着物のような和服のことを、女物長着というのですが、
この女物長着の仕立て方には、
先ほども説明したように、袷仕立てと単衣仕立てがあります。
また、単衣仕立ての中にも、
浴衣仕立て(木綿仕立て)や、ウール仕立て、単衣仕立て(絹仕立て)、
そして薄物仕立てと呼ばれる、仕立て方の違いがあります。
もちろん、浴衣は浴衣仕立て(木綿仕立て)ですが、
単衣の着物の仕立て方は、材質によって違っていて、
薄物や高級な材質のものほど、
縫い込む縫い代の始末の仕方に丁寧な仕立て方をします。
薄物や高級な材質の場合、縫い代を止めるための絎け縫いが、
表に響かないように気を付けたり、
単衣の着物を、裏側から見ても美しく見える縫い方がされています。
浴衣仕立て(木綿仕立て)の場合は、
暑い夏に着ることで、汗をかいたり、普段着として着ることが多いので、
日常に自宅で洗濯することもあり、
そんな時にも型崩れが少なく丈夫な仕立て方をします。
浴衣と着物の大きな違いとしては、
着物を着るときには、襦袢を着るのに対して、
浴衣の場合は、襦袢を着ないことです。
浴衣は基本的に、暑い夏に着るもので、
さらには、浴衣というものが元々、湯上りに着る、
バスローブ的なものだったということで、
浴衣は襦袢を着ずに着用するものとされています。
今まで浴衣は、寝巻として用いられたり、お風呂上りや、
夏の暑い日に、家の庭で夕涼みなどに着用したりする程度で、
外出着ではなかったのです。
しかし昨今、浴衣の中でも綿紅梅や綿絽、絞りの浴衣など、
高級浴衣では、襦袢を着て、
昼間でも街着として着ることもあるようです。
浴衣を着るときは、素足に下駄を履くのですが、
街着として着用するときには、
足袋に下駄を履くこともあります。
また、日本舞踊など伝統芸能の世界や演劇界では、
浴衣の時も襦袢を着て足袋を履き、
お稽古着として着用します。
生地は木綿地で通常の単衣ものよりも、
やや隙間をあけて織った平織りのものが多いのです。
浴衣を着るときは、
一般的な和服の着付けと同様に身に纏いますが、
くるぶしが見え隠れする程度の着丈で着付けます。
浴衣の歴史について簡単に説明!
浴衣の歴史
平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされ、
湯帷子は平安中期に成立した
倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)によると、
内衣布で沐浴するための衣とされています。
この時代、
複数の人と入浴する機会があったため、
汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われます。
素材は、
水に強く水切れの良い麻が使われていたという説があります。
安土桃山時代頃から、
湯上りに着て肌の水分を吸い取らせる目的で、
広く用いられるようになり、
これが江戸時代に入って庶民の愛好する衣類の一種となったのです。
元来浴衣は、湯上り着・寝巻きであり、
肌着として並ぶ略式着の最たるものであることから、
浴衣を着用した姿で多くの人が集う場所への外出は憚られていました。
江戸時代の頃から夏祭りや花火観賞の際など、
夕方以降に、
身近で気取らない場所であれば良いという風潮が定着しました。
しかし、
この格好で改まった場所へ出掛けることは失礼とされています。
浴衣を着る時は、男性は三尺帯、
女性は半幅帯で着用することが通例とされていましたが、
着付けの簡略性もあり、
兵児帯(へこおび)を用いることもあります。
男子の帯は一般的なウエストラインではなく、
臍よりもやや下、
骨盤の当たりに締めて下腹部部位を心もち下げる様に着付けます。
浴衣に合わせる履物は、
素足に下駄が一般的です。
男性の場合は雪駄のときもあります。
和服はすべて、
男女共に右前
(右の衿(右半身の身頃)を下にして、左の衽を上に重ねる)
にして着るのが正しく、
相手方からみると、
アルファベットのYの小文字「y」になるように、
自分の右手が衿に差し入れやすいように、
と念頭において着付けると間違えにくいです。
これからの浴衣
江戸時代後期、歌川国芳の浮世絵に描かれた、
浴衣姿で夕涼みする男性浴衣は、
もともと白地の木綿を藍で染抜くのが原則で、
柄も大胆なものが多かったのですが、
近年では洋服のようなデザインが好まれつつあり、
華やかな色合いと柄のものなども多くなっています。
生地も浴衣本来の木綿ではなく、
麻を混ぜたものやポリエステルなどを用いたものも多くなっています。
反物から仕立てる浴衣は手縫いのものが主流ですが、
大量生産されて安価で販売されている既製品の多くは、
諸外国で生産されており、ミシン縫いのものが主流です。
それらのものは衿の作りや縫いしろ、
おくみなどが簡略化されており、
一般的な和服の畳み方(本畳み)では収まらないことがあります。
近年の浴衣は、お洒落着としての需要も多く、
衣を着用して外出する場合もあるため、
下着を着用することが多くなりました。
浴衣仕様に軽量化されたり吸汗性に優れた肌襦袢や、
和装用の簡易スリップなどの肌着を併用する場合が多いようです。
女性は一般的に和服を着用する際は、
バストのふくらみが目立たないように、
さらしや和装用ブラジャー、
ワイヤーの入っていないスポーツブラジャーなどで、
補正することもあります。
特に近年、ギャルと呼ばれる若い女性の間では、
和洋折衷のデザインのものも多く販売されていて、
生地の柄、衿のあわせは浴衣のものですが、
伊達衿をあわせたり、胸元にフリルやレースをあしらったもの、
ミニスカートのような膝上丈、
なかにはフレアスカートのように広がったデザインに、
パニエを併用するなど、
固定観念を打ち破った個性的なデザインが施されたものも多く、
支持されています。
また、身頃も一枚繋ぎではなく、
上下を分けて着用する二部式のものも存在し、
着崩れしにくいと人気です。
帯締めや帯留めを用いたり、
帯結び部分にリボンやビーズで装飾を施したものなど、
想像を超えた多様化が見られます。
男子では、肌着代わりに薄手のシャツやカットソーを着用し、
カンカン帽やエンジニアブーツなどを合わせるなど、
現代風なアレンジを楽しむ若者も増えています。
履きなれない下駄で足さばきが悪く転んだり、
鼻緒で足指や足の甲を擦って怪我をする人も少なくありません。
なので、薄手の足袋を併用したり、
洋服用のサンダルを合わせる人もいます。
和服に親しむ人が減少していることもあり、
一人で帯結びが出来ない人も多いため、
一部のメーカーは「作り帯」がたくさん販売されています。
作り帯とは…すでに結び目を仕上げた状態で固定したものと、
胴囲部分の組み合わせて胴囲に帯を巻きつけ、
結びを差し入れた後に紐やクリップで固定する形態のもの。
元来、角帯は浴衣には合わせないものとされていましたが、
最近ではこの意識は薄れ、
男性は浴衣に角帯を用いることも多いようです。
事実、服飾メーカーでは、
新作発表の際に、
浴衣と角帯の組み合わせを提案することも増えていて、
浴衣とセットで販売されることも珍しくありません。
現代の日本の生活で、浴衣が多く着用されるのは、
主に花火大会・縁日・盆踊りなどの夏の行事です。
レストランや遊園地・テーマパーク、スポーツの試合などでも、
浴衣を着用して来場すると、
特典がある施設が増えています。
浴衣は、日本舞踊や演劇などの稽古着として、
通年使用されることもあります。
日本独特の風習として、
旅館やホテルに寝巻として用意されている場合が多いのですが、
多くは簡略化されたものです。
温泉宿やそれに類するホテル等では、
備え付けの浴衣を着用したままで館内施設を利用したり、
近隣を外出することは問題ないとしているところもありますが、
一般的にシティホテル等では、
着用したまま室外に出ることは認められていません。
特に宿泊施設が点在する温泉街では連携を組んで、
街全体を鮮やかに演出する試みを打ち出しているケースもあり、
施設利用者に浴衣と下駄を貸し出し、
着付けサービスを提供するところもあります。
宿泊客には、その浴衣をプレゼントするなど、
工夫を凝らしているところもあり、
浴衣が一種のリゾートウェアとなっています。
あとがき
浴衣は和服のなかでは比較的安価であることから、
別誂えの反物を染めて、
歌舞伎役者などが贔屓への配りものとすることも多かったのですが、
最近ではこうした風習も徐々に少なくなりつつあります。
ちなみに、2020東京オリンピックのロゴや、
鬼滅の刃で話題になっている『市松模様』は、
江戸時代の歌舞伎役者 佐野川市松が、
中村座での舞台「心中万年草」で、
小姓・粂之助に扮した際に穿いた袴の
白と紺の正方形を交互に配した柄がその名の由来です。
角界には、まだかろうじて、
関取が自分の名前の入った浴衣生地を、
贔屓筋や他の相撲部屋に贈るという風習が残っています。
自分の気に入った柄でオリジナルな浴衣を仕立てる力士も多い。
関取か否かを問わず現役力士は浴衣が夏の正装であり、
浴衣を着用せずに外出してはならない規定があります。
乞巧奠(きっこうてん)の慣習と織女祭に因み、
日本ゆかた連合会が7月7日を、
「ゆかたの日」と提案し、制定されています。
浴衣は、日本情緒の雰囲気を味わえて、
かつ、安価で着付けも簡素な民族衣装として、
外国人のお土産としても重宝されています。