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足袋選びのポイント必見! 足元を素敵にする足袋の歴史と行田の足袋屋さん

和装の足元に必要な足袋ですが、
足袋の歴史や起源についての豆知識です。
足袋のことを知ったうえで、
足袋選びのポイントについてまとめました。
履きやすい足袋を見つけるために、
足袋の町・行田の足袋屋さんをご紹介します。

  

足袋選びのポイント

「おしゃれは足元から」とよく言われますが、
着物を着た時も、足元は重要なポイントです。

自分の足に合った足袋は、
ちょうどサポーターをはめた時のようなフィット感があります。

靴下やストッキングに慣れてしまった足には、
多少きつく感じるかもしれませんが、
長時間履いていると足に固定し、逆に気持ちよく感じられます。

木綿製の足袋は洗濯すると多少縮みますが、
ぎゅっと伸ばすつもりで履けば、
布が足に合わせるように伸びて、シワもできません。

今では既製品のサイズも豊富になり、
ほとんどの人に合うようになりました。

足の長さ、幅、足首廻のサイズ、足の甲の厚さなど、
足の大きさも形も、人によって様々です。

自分の足にピッタリ合った足袋を求めるには、
試し履きをすることが理想です。

それでも足にピッタリ合った足袋が見つからないとき、
たとえば、左右の足の大きさが微妙に違ったり、
指の長さが合わない場合など、
オーダーしなければいけない場合があります。

お誂えの足袋を作るとなると、
木型から起こすフルオーダーになりますが、
既製品を修正するセミオーダーもあるようです。

まずは、足袋専門店で相談してみることになります。

足袋を試し履きするときにチェックしておくポイントは、
・こはぜ(足袋を留める金具)がゆるくないか
・足首がきつくないか
・こはぜの留め具合が足首のカーブに合っているか
・かかとの位置が合っているか
・足底が大きすぎないか、狭すぎないか
・足の甲の厚みが合っているか
・指先が余っていないか
・指が曲がっていないか  など、

足袋を履いた足全体にシワがなく、足にピッタリと合っている足袋は、
見た目にも美しく、歩きやすいだけでなく、疲れにくいのです。

足袋の歴史と起源は

着物を着るときの足元に必要な足袋ですが、
足袋の起源については諸説あり、
そのひとつに5世紀ごろに中国から日本へ伝わったとされる
「襪(しとうず)」という履き物が発展したという説があります。

襪は指股がなく現在の靴下のような形状で、
履いた後に足首のところを紐で結ぶというものでした。

平安時代以前の貴族は草履を履く習慣がなく、
現代のスリッポンのような「浅沓(あさぐつ)」や、
ブーツ状の「かの沓(かのくつ)」が着用されていたため、
その下に履く靴下のような役割として用いられました。

ですから、
「襪(しとうず)」とは「下沓(したぐつ)」が訛ったものとされています。

平安時代に入ってからも、礼服には錦、朝服には白を着用することとされ、
階級によって綾絹、練絹、麻などが使い分けられていたようです。

また、
特殊なものとして皮革製があり、主に蹴鞠や舞楽の際に着用されました。

同じく平安時代に「山家(やまが)」と呼ばれた猟師たちが、
山野で足を保護するため、
猿や熊、鹿などの毛皮を履き物にし、
指先に股をつけた「毛足袋」を履いており、
それが後世の足袋の原型となったとする説もあります。

襪を履いていた公家に対して、
武家が主に着用したのが『単皮 (たんび)』です。

平安時代の『倭名抄』には、
「町人は鹿皮を以て半靴(はんか)を為(つく)る。
名付けて単皮(たんび)と日う」という記述が残っています。

単(ひとえ)の皮を使った、今でいう靴のようなもので、
その「たんび」が後に「たび」に変化したという説があります。

鎌倉時代の『宇治拾遺物語』に、
「猿の皮の足袋はきなして」という記述があることから、
11世紀には「足袋」の字が使われていたことがわかっています。

ただし、
この頃に用いられた足袋(たび)は、まだ指の股が分れておらず、
今のように親指が分れた形状となったのは、
室町時代になってからと言われています。

また、ほかの説としては、足袋の形を鼻に見立て、
両足揃うと4つの鼻に見えるために「多鼻」となったという説や、
旅に出る際に足を痛めないよう鹿皮でできた袋で足を包んで出かけ、
この旅沓(たびぐつ)を略して
「たび」→「足袋」と変化したという説があります。

室町時代以降、
草履の普及とともに、武士の間で皮革製の足袋が普及しました。

文禄(1592~1596年)の頃には、
男性は白の革足袋や、小桜などの模様を染めた小紋足袋、
女性は紫色に染めた紫足袋を履く習慣が生まれました。

とはいえ、履く時期は9月から翌年の2月までなど細かく規定され、
さらに老中や城主の許可が必要でした。

また、
当時の武家の間では、人前で足袋を履くことは無礼とされており、
礼装や主君の前では素足でいることが礼儀とされていました。

一方で、
戦乱の世となるにつれ、革足袋が軍装として使用されるようになりました。

江戸時代に入ってからも革足袋が一般的でしたが、
1657年に起こった「明暦の大火」の後、
防火用として庶民がこぞって革の羽織などを買い求めるようになり、
皮革の値段が高騰。

そのため、足袋に廉価な木綿を使ったところ、
肌触りがよく履き心地がよいと評判になり、急速に普及していきました。

白の無地の他に、染め分け足袋やうね刺し足袋という、
絹糸で刺した足袋などさまざまな種類が登場しました。

色は時代に応じて流行が変化していきましたが、
次第に白、黒、紺が主流になりました。

江戸の武士の間には、礼装の際に白足袋を用いるという考え方が広まり、
また 江戸の町人は、紺足袋を用いるようになりました。

なお、
現在も白足袋や色足袋、小紋足袋などさまざまな種類の足袋がありますが、
礼装には白足袋と決められています。

また、宝暦 (1751年) 頃から薄地の夏足袋が作られるようになり、
一年中履かれるようになりました。

元禄(1688~1704年)の頃には、
中国から渡ってきた財布に付いていた爪を応用し、
現在の足袋の原型となる、
足首を「鞐(こはぜ)」で留める足袋が開発されました。

また、
ボタンで留める足袋も作られるようになりました。

しかし、農村部を中心に一般庶民には、
紐で結ぶタイプの足袋も依然として使用されており、
「鞐掛け(こはぜがけ)」の足袋が広く普及するのは、
明治時代に入ってからでした。

鞐(こはぜ)は明治時代までは2枚が主流で、
現在は3枚~6枚のものがありますが、
一般的には4枚のタイプが用いられます。

鞐(こはぜ)の数が少ないほど正座が楽で、
数が多いほど立ち姿が美しいと言われています。

明治時代に入ると、足の保温効果や利便性、
またはファッションの観点から一般庶民へ広く普及していきました。

さらに、
屋外でより実用的に使用する目的で「地下足袋」が作られるようになりました。

しかし、戦後以降は、和服から洋服への転換が進み、
とび職などの一部の職業を除いて日常的に履く機会は失われていき、
武道や華道、茶道など、
伝統的な日本の催事に使用されるに留まるようになりました。

海外のファッションブランドで、
地下足袋のようなブーツも人気を得ています。

近年になり、
指の股と股の間が空いていて足の裏が敏感になる足袋は、
足が疲れにくく健康によいと、そのよさが見直される傾向にあります。

また、
洋装にも合わせられるカジュアルな柄やデザインの足袋が登場したことで、
感度の高い若者たちから”新しいファッション”として認知され始めています。

足袋づくりに情熱を燃やす行田の足袋屋さん

行田の足袋は、
主に旅行用や作業用の足袋が作られていました。

行田は木綿の産地でもあり、
近くに中山道が通っていたことで、
旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったと考えられています。

江戸時代の明和2年(1765)の
『木曽東海両道中懐宝図鑑』という本には、
「忍のさし足袋名産なり」とあり、
行田の足袋が名産品だったと記されています。

「さし足袋」とは刺子にした足袋のことです。

明治時代になるとミシンが使われるようになり、
足袋の生産量は増大しました。

また忍商業銀行や行田電燈株式会社が設立され、
資金も安定し、
ミシンの動力化も進んで、名実ともに行田の足袋は日本一となりました。

昭和13年(1938)の足袋生産量は8,400万足で、
これは全国生産のおよそ8割を占めていました。

きねや足袋

会社名     きねや足袋株式会社
所在地     〒361-0032 埼玉県行田市佐間1-28-49
電話      048-556-6361
FAX      048-554-4531
メールアドレス info@kineyatabi.co.jp
http://kineyatabi.co.jp/kineya/

仕事着屋さん

ポップ足袋(青花)女性、男性、子供用、メンズ、レディース。
価格:4320円(税込、送料無料) (2017/10/13時点)

株式会社 武蔵野ユニフォーム
〒361-0016 埼玉県行田市藤原町2-7-7
TEL:050-1156-3503 FAX:048-610-8320

千代の松

会社名 創作足袋 千代の松

代表者 戸塚 喜久代
所在地 〒361-0077 埼玉県行田市忍1-1-16
TEL   048-564-0785 FAX:048-564-0785
http://www.plus-kun.com/totsuka/index.htm

ガクヤ株式会社

社名 ガクヤ株式会社
代表者 代表取締役社長 小池 俊輔
本社所在地 埼玉県行田市向町14-20
ホームページ http://www.gakuya.co.jp/

あとがき

着物を着る人にとって足袋は必需品です。

着物を着る人が少なくなって、
足袋の需要は減少していますが、

足袋の名産地・行田は頑張っています。
TBS系のドラマ 日曜劇場の『陸王』でも有名になりました。

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